「六ヶ所村ラプソディー」
先日から紙面をお騒がせしていた余呉町長が表明していた「高レベル放射性廃棄物処理場」の誘致の問題ですが、今月5日、町長が前言を翻し、誘致を断念しました。
そして、昨日。
米原で「六ヶ所村ラプソディー」というドキュメンタリー映画の上映会があったので、観にいってきました。
青森県の六ヶ所村は「使用済核燃料廃棄物 再処理工場」があるところです。
その村で生活する人々を撮したこのドキュメント。こういう施設ができるとなるほど、こんな風に考え方が変わるんだなあ、と思わされました。
経済っていう観点から考えると、間違いなくあった方が仕事も増えて、お金も回るのは、否定できない。けれどそれだけのためにできて欲しくないよなあ。
電気無くては生活できないという意見には肯かざるをえないけど、実はもっと利用量を減らせるのではないだろうかと思う。
映画を観た後、この作品の監督・鎌仲ひとみさんと話をする機会を得た。
実はずーーっと前に京都でお話ししたこともある、奇遇な再会。
この鎌仲さんは六ヶ所村の映画の前に「ヒバクシャ」という映画を撮影してもおられる。この映画は実は観れてないのだけれど、近々観てみたい。
エネルギーの問題もそう、こないだ別のところで話していた「農薬」の話もそう、物事にはかならず「いい面」と「悪い面」があって、表裏一体。
開発者も使用者も共に「よくなりたい」という目的を持ってそれを生み育ててきたことには変わりなくて、便利になりたい、したい、してあげたい、という想いのもとで作られ続けてきたもの。
だから、解決が難しい。
喜んでくれたらそれでいいじゃん、という価値観では解決できないわけで。
お金があればいいなあ、と願う苦しい財政の町。
核廃棄物をより有効利用できればいいなあ、というエネルギー行政。
もっと便利に快適に暮らしたいなあ、というひとりひとり。
農薬で言えば、
もっと安い食べ物をたくさん欲しい、楽に仕事がしたい、という気持ち。
その弊害として健康や命を脅かすことになっているという構図。
いったいどこから手をつけたらいいのだろうなあ。
思うに。だれでもできることが、ひとつ。
欲求を少しだけ抑えること。
聞くところによれば、日本中の自動販売機を動かすのに原子力発電所3つ必要だそうな。本末転倒だ。
「もったいない」という言葉、大切にしたいですね。
そして、昨日。
米原で「六ヶ所村ラプソディー」というドキュメンタリー映画の上映会があったので、観にいってきました。
青森県の六ヶ所村は「使用済核燃料廃棄物 再処理工場」があるところです。
その村で生活する人々を撮したこのドキュメント。こういう施設ができるとなるほど、こんな風に考え方が変わるんだなあ、と思わされました。
経済っていう観点から考えると、間違いなくあった方が仕事も増えて、お金も回るのは、否定できない。けれどそれだけのためにできて欲しくないよなあ。
電気無くては生活できないという意見には肯かざるをえないけど、実はもっと利用量を減らせるのではないだろうかと思う。
映画を観た後、この作品の監督・鎌仲ひとみさんと話をする機会を得た。
実はずーーっと前に京都でお話ししたこともある、奇遇な再会。
この鎌仲さんは六ヶ所村の映画の前に「ヒバクシャ」という映画を撮影してもおられる。この映画は実は観れてないのだけれど、近々観てみたい。
エネルギーの問題もそう、こないだ別のところで話していた「農薬」の話もそう、物事にはかならず「いい面」と「悪い面」があって、表裏一体。
開発者も使用者も共に「よくなりたい」という目的を持ってそれを生み育ててきたことには変わりなくて、便利になりたい、したい、してあげたい、という想いのもとで作られ続けてきたもの。
だから、解決が難しい。
喜んでくれたらそれでいいじゃん、という価値観では解決できないわけで。
お金があればいいなあ、と願う苦しい財政の町。
核廃棄物をより有効利用できればいいなあ、というエネルギー行政。
もっと便利に快適に暮らしたいなあ、というひとりひとり。
農薬で言えば、
もっと安い食べ物をたくさん欲しい、楽に仕事がしたい、という気持ち。
その弊害として健康や命を脅かすことになっているという構図。
いったいどこから手をつけたらいいのだろうなあ。
思うに。だれでもできることが、ひとつ。
欲求を少しだけ抑えること。
聞くところによれば、日本中の自動販売機を動かすのに原子力発電所3つ必要だそうな。本末転倒だ。
「もったいない」という言葉、大切にしたいですね。