また、山、山。
ひっさびさに「伊吹山」に上がった。
朝7:30。麓の登山口から登りはじめる。天気はあまりよろしくなく、空には厚い雲。これ以上悪くなりそうなら早めに下山、を合言葉にするぼくたち4人。最初の樹林帯はブーツのまま登り一合目へ。そこからは、ぼくを含む二人はスキーにシールを貼り、残り二人はスノーシューを履いて登高。
三合目までくらいは下界が見えてました。でも空はどんよりのまま。でもちゃんと琵琶湖は見えましたよ。

しかし、登るにつれだんだんと霧が出てきて、風が強くなってきて、気分も下降気味。結局5合目過ぎの避難小屋までで登ることは中止し、下山を決めました。
そして!ボクらはシールをはがし、他の二人はスノーシューをスノーボードに変えて、レッツゴー。さっきまでヒーコラ言ってた斜面を、一気に下ります。久々のスキーなので、コケまくってました。が、それが楽しい。
結局昼には下山。その頃には麓はミゾレのような雨でした。
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で、その晩は別の友達Tが合流し、カマクラを作って宴会。

次の日は早朝からその友達と二人で、先週も登った「菅山寺」へ。この日も霧がかすみ木には雪が積もっていましたが、菅山寺の場合、とても幻想的な雰囲気を演出してくれました。菅公お手植えケヤキが先週以上にたくましい。
で、9時過ぎには下山。
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さらに別の2人の友達と合流し、昨日とは違う4人で、今度は玄蕃尾城址のある「柳ヶ瀬山」に向かう。
この山は樹林帯を歩くので、前日とは違って、スキーではなくスノーシューで。さすが余呉の山。登るにつれ、どんどん雪が深くなり、雪質もフカフカになり、歩くのがとても楽しい。麓ではみぞれでも、上のほうはちゃんと雪として降ってるんだなとあらためて実感。

じわじわと高度を稼ぎつつ、やっとこさ山頂へ。その頃には空も晴れて、光が綺麗でした。やっぱり山はいいですねえ。白い雪は美しいです。
帰路はルートを見極めつつ、斜面を駆け下りたり滑ったり、あんぽんたん丸出しで、往路の半分以下の時間で下山。これが楽しい。(仲間のひとりが、この登山のブログ書いてます)

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ぼくはお米を作りたいなと思って余呉に住み始めましたが、ここに住めば住むほど、もっと余呉や湖北の自然を知ってもらいたいという想いが強くなってきています。お米を作るのに必要な空気も水も、すべてまわりの山やそこにある木々たちによって守られています。
環境を守ると言ういわゆるエコな思想も、実は、ぼくらがこういう山川草木たちに守られているんだという本来あるべき実感が薄くなってから生まれたような気がしています。ならばこそ、農を生業にする者として、こういう当たり前の自然環境をブログなどで皆さんに紹介できたらいいなと思い始めると同時に、できる事なら、皆さんをこういう場にお連れしたいとも思うようになってきました。ちょっと手を広げすぎかもしれませんが、この四季が躍動するように変化するこの地域を皆さんに知ってもらえたら幸いです。
(とはいえ、安易にこの記事にあるような雪山のルートを詳細に載せることは控えます。雪山は楽しいと同時に、夏山以上にリスクもあります。看板なども雪に埋れていることが多々あります。ブログという不特定多数の方々に安直にルートを紹介して、その通りに登ってしまって危険な目にあっても私には責任の取りようがありません。この二日間にも伊吹〜揖斐山系で遭難しそうになった方がいる(と言っても最終的に自力下山です)とも聞いてます。どうぞ十分に気をつけてください。)
余呉トレイル ー行市山ー
余呉トレイル、開拓の巻。今回は行市山(ぎょういちやま)。
余呉町西側の町境に位置し、敦賀市に接している。この山ももちろん「分水嶺」。余呉側に降った雨は太平洋、敦賀側の雨は日本海へ注ぐ。
さてさて、時を遡り戦国時代。賤ヶ岳の合戦をご存知であろうか。織田信長亡き後、その後継を巡り、柴田勝家 と 豊臣秀吉 が争った戦である。その舞台が、ここ余呉町。
ごくごく簡単に書くと、、、信長が死んで半年と少しした頃の春先、旧暦3月のこと(およそ5月頭らしい)。
▼北陸から攻めてきた「勝家」は「柳ケ瀬山」からこの「行市山」周辺に陣取った。
▲南から攻めて来た「秀吉」は「木ノ本の山」から「賤ヶ岳」あたりに陣取った。
(このまましばらく向き合っていたひと月の間に、それぞれの山の上には城ができていたというから驚きだ。)
そうこうするうち、新緑が濃い緑に変わってきた。(水田がどれだけあったか分からないが、ちょうど田植えの時期だろうか。地元民はその戦の成り行きをやきもきしながら見守っていたに違いない。)こう着状態が続き、長期戦になろうかという頃、岐阜で起こった一悶着を収めるため、秀吉が美濃に向かった。そのスキに、勝家側が動く。
秀吉が戻ってくるまでの間、勝家軍は賤ヶ岳陥落直前まで押しまくっていた。けれど、秀吉が多勢を率いて帰ってくるとたちまち形勢逆転。勝家は福井の居城まで退却を余儀なくされ、結局そのまま自害したそうな。
もしも勝家が勝ってたら歴史はどうなってただろう。「賤ヶ岳の戦い」ではなく、「行市山の戦い」って言われて名を残していたか?はたまた、福井が栄えたか・・・。歴史の楽しみは、こんなふうな夢想にもある。

ともかく。勝家の家臣のひとり佐久間盛政が砦を築いたのが、この「行市山」だそう。
今回歩いたのは、その佐久間氏が賤ヶ岳を攻めるのに使ったというルートの一部。西浅井町と余呉町との境の尾根を歩き、道を開いた。今後のトレイルの目玉となりそうな、なかなか良い道。新緑や紅葉が期待できそう。
写真は山頂からの眺め。南南東方面は、薮が切り払われていて、眺望抜群。ここから豊臣方の動向を眺めていたに違いない。ちなみに、左手一番奥の山が伊吹山。真ん中右寄りの富士のようなきれいな山は、小谷城(小谷山)。
・・・もう一つ、まめ知識。
「織田信長」「豊臣秀吉」「柴田勝家」。この人たち、みな尾張の出身です。日本に名を残す武将たちですが、信長は安土、秀吉は長浜(今浜)に、城を築き滋賀を舞台に大活躍しました。名古屋出身のぼくとして、とても親近感。ちなみに勝家は、ぼくの生まれた町のすぐ近くで生まれてます。ますます親近感。
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今回は草刈り機も大活躍。おつかれさまでした!

余呉トレイル2 新聞記事紹介
以下、記事抜粋
山歩きブームが高まる中、余呉町で、水の流れが日本海側と太平洋側に分かれる全長30キロ余りの「中央分水嶺(れい)」を、散策用のトレッキング道として整備する計画が動き始める。
(中略)
ルート上には、ブナ林に代表される豊かな自然環境をはじめ、琵琶湖と日本海を一望できる景観、賤ケ岳合戦(1583年)の際に戦国武将の柴田勝家が築いたとりで跡など、見どころは多い。
ね?楽しそうでしょ?
興味ある方、ぜひお力貸して下さい~!
余呉トレイル1
で、余呉にはまだまだ知られずにいる山がある。登山ガイドなどで知られた山と言えば、賤ヶ岳・行市山・七々頭ヶ岳くらいか・・・。
「高島トレイル」をご存じだろうか?
琵琶湖の西に連なる山々をつなぐ道。ちょうどそれは分水嶺(※)を歩く道である。連山を制覇する楽しみもあり、行程を選べばちょっとそこまでと初めての山登りのステップともなる。
(高島トレイルのHP、ぜひ見てみて下さい。以前ちょっとお手伝いしました。)
そんなトレイルを余呉にも作ろうという動きがある。高島トレイル発起人のひとり青山舎D氏や隣町のcozy氏とともに、余呉の東にある横山岳への道探索に出かけた。
(※分水嶺:降った雨の行き着く先を分かつ山嶺のこと。本州の場合、大きく俯瞰すると、雨水は太平洋か日本海のいずれかに流れ込む。たとえば滋賀と福井の県境の山は分水嶺であり、滋賀側に降った雨は琵琶湖を経由して太平洋に、福井側に降った雨は日本海へ注ぐ。河川流域単位でこの言葉を使う場合もある。)
登ったのは先月のことなのだが、そのちょっとを写真でご紹介。