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野良師のつぶやき
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「野良師のつぶやき」

除草剤とか農薬にちょっと思うこと

今日は変な天気でした。風はゴウゴウとうなり、雨が屋根を叩く。まるで台風。どうやら知人のハウスとかも被害にあった模様。ぼくも外に置いていた苗箱とかが飛ばされてた・・。ほんとすさまじい春の嵐でした。

そんな日は室内で事務仕事。ようやく、田植え体験のイベントチラシも完成しました。>>田んぼイベント記事

 

ところで、ふと思いついたように、こんなことを書いてみる。前から書きたかった「農薬」のこと。

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「農薬」を手にとってみて、よくよく見てみると、不思議なことに気づく。

農薬の袋って、どこにもメーカーの連絡先が書いてないのです。お客様相談室とかの番号すら、書いてない。
これって不思議じゃない?書いてある電話番号といえば、「中毒センター」などの公的機関の緊急連絡先のみ。なんか不思議でしょ?会社名と住所は書いてあ るクセに・・・。
同じく「肥料」の袋もそう。電話番号がどこにも書いてないんですよ。

・・・。なんかね、そのへんが製造者として無責任なような気がするんです。どう思いますか?

そして、同時に、農家ってなんかちょっと軽んじられていません?

 

葉と木

葉っぱ。「はっぱ はっぱ はっぱ はっぱ」。繰り返すとすごいカワイイ言葉かもしれん。「っぱ」っていう語尾は「幼児語」の名残なのかな。頬→ほっぺ、みたいな。
木は、きっきとかは言わないね。木は木。お手手にならっても、お木木とも言わぬし。

日本語の語源からすると、1音2音程度の「短い」単語ほど古い起源を持っているんだろうから、「目」「手」「血」「毛」「頬」「耳」などの身体を表す言葉はきっと相当古い言葉。「葉」はそれと同じくらいに古いんだろうね。ほかにも「木」「実」「菜」は1音。そうそう「田」も。動く生き物は、、、「蚊」くらいか(笑)。

 

今は冬。ほとんどの木は葉を落とし、眠っている状態。暖かい太平洋側の地域では、青々した木々も沢山あるだろうけど、この日本海側の木は、そのほとんどが 葉っぱを落とす。で、山に登ると、その枝々に雪を乗せていて、時には樹氷のようにもなっていて、それはそれは美しい。(もちろん四季それぞれに美しいよ)。

で、植物の葉っぱって、すごいよなあって思う。ただそこにあるだけで、エネルギーを作り出してる。昔読んだか聞いたか憶えていないけれど、現代科学がどれだけ進んでいようとも、「葉っぱ一枚を作りだすことは出来ない」って言う言葉を覚えてる。本当にその通りだ。iPhoneがどれだけ便利でも光合成をしてエネルギーを生み出すことは出来ないし、インターネットがどれだけ便利でも酸素を流通させるのはできないし。

この地球上のいろんなもの、それはきっと偶然の積み重ねで残ったものだと思うけれども、ほんと驚嘆すべき世界を作ってる。毎日の「おいしい!」という一言も、その料理を構成している「野菜」とか「生き物」とか「塩」とかっていう自然物と、それをおいしいと感じることができる自分自身との、偶然の出会いから生まれた一言なんだよなあ!感謝!

 

あれ?こんな結論出すつもりじゃなかったのに、どっかの宗教家じみた結論になってしまった。ごめん(笑)。まあ、毎日の食卓に並んでいるはずのお米や野菜や料理は、そんなミラクルな自然物の塊だってこと。

 

昨日から今日にかけて、40cm位積もったと思う。もっとかな。50cm?雪かき隊員随時募集中です〜。よろしく!

 

エコを考えながら

エコ、エコ、エコ、と蝉の如く賑やかだ。商品にも税金にもエコ。商品にとりあえず頭文字を「e」にしてあって、eeee!(えーっ!)と驚くようなときもある。

で、これらの「エコ」は「エコロジー」の、ときには「エコノミー」の略なのだろう。つまり「生態学」か「経済学」の略。そもそも「エコ」は「環境」ではない。

(近年、大気や水の汚染、石油燃料の消費など環境問題について言われるようになり、これらは常に「生態学」の分野からアプローチを受け続けた。自然環境や生物そのものへの影響を生態学手法で測り、解決の方法をさぐっていた。そしていつの間にか自然保護・保全活動はエコロジー運動などと呼ばれるようになり、結果、環境にやさしいこと=エコロジーなんていう図式が出来上がった。)

 

 

さて。
その ecology の語源がおもしろい。eco+logyだ。economy は eco+nomy。どちらも語源はギリシア語。logy(logos)は論理、nomy(nomos)は管理、っていうのがそもそもの意味。じゃあecoは?

答えはeco (oicos)=「家」。ギリシア語で生活の最小単位っていう意味らしい。

ってことはエコロジーは家の論理、生活の論理、生きる仕組み、地球という家に住みつづけるための仕組み。
一方でエコノミー。これは、家の管理、生活管理、家政、家を守るための規範、地球という家に住み続けるための術。

となる。

二者は表と裏の関係にある。かつてはエコロジーのことを考えなくても、「自然」というのは圧倒的に強く逞しく、良いバランスが保たれてきた。しかし、産業革命と経済発展に従って人間が暴力的になり、だんだんバランスが崩れてきたのがこの100年。
(実際はエコロジーという言葉自体は新しく、19世紀に誕生したようなので、新語の部類。うまい言葉を考えたもんだ!と感心します。)

 

 

これからの社会はエコロジーとエコノミーのバランスをうまく取りながら進まないと続かないだろう。つまり、地球全体のバランスを生かしつづける新しい術とは何かを模索し答えを出さないと、ぼくらの子孫に取って生きにくい世界になってしまう。それを考えることこそが、真の「エコ」じゃなかろうか。

農業においても、普段の生活においても、常に直面し続ける問題です。ぼくに出来ること、少しずつ見えてきた。田んぼでできること、町でできること、琵琶湖でできること、山でできること・・・。そして、みんなで出来ること!

 

これからのことを、皆さんと一緒に考えたいです。そして、楽しんでいきたい。このわくわくする感じ、なんだろな。

若い男たち、農を語る

 先にお知らせしたとおり、京都四条のギャラリーshin-biにて、語ってきました。
 アツイアツイ、語りでした。

 shin-bi田村さん、写真家motokoさん、ライター井上英樹さんをはじめ、関係者の皆々さまありがとうございました。
 そして来て下さった方、ほんまに感謝感謝です。ありがとうございます。

 湖北の雄、家倉タカカズ。「お米の家倉」。
 湖西の雄、石津ダイスケ。「のんきぃふぁーむ」。

 いやあアツイ男たちの話を聞いて、たっぷり充電してきました。来て下さった方の反応も良かったので、なおのこと。

 ここ最近、もんもんとしていたので、少し吹っ切れました。ありがとう!!! 

 _IGP2593.JPG       Photograph by motoko

顔よりも手。理屈よりも感性。

 重ね重ねの連投。こんなことは珍しい。書き始めると止まらなくなるもんですね。

 さて、先日の日記に「ぼくの掌」が「富士通のCM」に使われたことを書いた。こんなことは過去にも無く、これからもきっと無いので、家族も友達もおもしろがってくれている。
 ホントにありがたいお話を頂いたもんです。



 ところで。最近のはやりに「直売所」っていうのがある。
 その地域の農家の「顔写真」が貼られていたり、「栽培方法」が書かれていたりする、そして新鮮がウリの施設だ。いろんなモノが売られていて、楽しい。時々足を運ぶ。

 そんな直売所のある場面に、しばしば違和感を覚える。それは、「顔写真」。

 うん、確かに文字通り「生産者の顔」は見える。栽培方法が書かれていれば、安全な気もする(ヤバイコトは書けないからね)。そして生産物とともに「安心」を買うことができる。
 しかし、生産者側からすれば、ちょっと恥ずかしいのでは?
 
 そして、その顔写真でホントに「安心」?
 
 だって、それだけじゃその人がどんな人かは分からないわけで。