「円は縁なり」 続稿
以前にお金について、こんなコトを書いた。
http://norashi.seesaa.net/article/12335508.html#more
書いた後に、少し恥ずかしくなった。
なんだかお金がない人間の遠吠えみたいだったから。
とはいえ、実はあの稿には続きがある。
ある人はあの話の真意を教えて、ってなことを尋ねてくださった。
最近同じ話を知人としていて、なるほど~と理解されることが多かったので、
書くことに決めた。
http://norashi.seesaa.net/article/12335508.html#more
書いた後に、少し恥ずかしくなった。
なんだかお金がない人間の遠吠えみたいだったから。
とはいえ、実はあの稿には続きがある。
ある人はあの話の真意を教えて、ってなことを尋ねてくださった。
最近同じ話を知人としていて、なるほど~と理解されることが多かったので、
書くことに決めた。
縁によってお金が動くことはなんとなく、理解できる。
だいたい、「株」の相場も人間の情の部分によって大きく動きますし。
人の繋がりをより濃く、密にする為にお金が動いてるんだろうなあ。
でも一方で。
ぼくはお米を売っている。
お客さまのそのほとんどが顔を知っている知人である。
そしてその知人にお米をお渡しするときには、引き替えにお代を頂く。
その瞬間、少しためらう。なんとなく知人からお金を頂くのに気が引けたりする。
いいものを作って、いいものを食べて頂きたいという気持ちとともにお米を人にお渡しするときには「おすそわけ」という感覚が立ち上がってくるのだ。
そんなことを繰り返すうちに、「おすそわけ」感覚が鈍ってきた。
と同時に、「お金は巡る」という言葉が頭に浮かぶようになった。
ぼくとしては大きな価値転換。
お金を儲ける、稼ぐ、支払うという言葉よりも先に「巡る」「回る」というものか、と肌で感じるようになった。
自分の手元に回ってきたお金を、再び他者のところへ回す。
その繰り返しで、その相手も経済も気持ちも明るくなるって考えると楽しい。
だから、お金の単位は「円」なんだな、と思うに至った。
このお金の単位が生まれた詳しいいきさつは知らないけれど、
「両」「銭」という通貨単位を「円」に改めた人物の真意をぜひ拝聴したい。
縁は円なり。円は縁なり。